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郷土の偉人「後藤勇吉」

投稿日:2014/03/20

延岡市で施工中の、方財突堤現場の事務所がある、妙田緑地公園内に一つの銅像があります。

その銅像こそ、今日のブログのタイトルでもある「後藤勇吉」と言う人物です。


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皆さん、後藤勇吉がどのような人物なのかご存知ですか?
実は後藤勇吉は、日本初の民間パイロット第一号として、数々の偉業を達成した人物なのです。

明治29年に延岡市で生まれた勇吉は、幼少時より機械に関心を持ち、宮崎県立延岡中学校(現:宮崎県立延岡高等学校)に入るころには、蒸気機関つきの精米機や、水上自転車を製作したそうです。

航空機に関心を持つようになったのも、その頃からだったそうです。延岡中学校卒業後、父の勧めで東京の自動車工場で働きますが、飛行士白戸栄之助に出会い、その助手となり、 1916年(大正5年)、複葉水上飛行機・白戸式「巌号」とともに延岡に帰り、東臼杵郡門川町の海岸において、独力で飛行訓練を行い、試行錯誤の末に直線飛行に成功しました。

その後、勇吉は数々の偉業を達成します。

大正 9年 24歳  飛行競技大会で優勝候補を抑え、高度飛行1位、高等飛行1位、速度飛行2位の成績を収める。
大正10年 25歳  日本で第1号の一等操縦士と、一等飛行士の免許を取得する。
大正11年 26歳  日本で初の旅客飛行に成功する。
大正13年 28歳  日本で初の日本一周飛行にも成功する。
昭和元年 30歳  大阪から京城、大蓮、両航空路を開拓し、日本で初めて、海外郵便輸送に成功する。
昭和 2年 31歳  日本で初めて、生鮮農産物「日向かぼちゃ」を空輸する。

その後、1927年(昭和2)5月、アメリカのリンドバーグが、大西洋無着陸横断飛行に成功したニュースを受け、帝国飛行協会は翌月、国産飛行機による、「太平洋横断無着陸飛行計画」を正式に発表しました。

このプロジェクトは勇吉を含む、4名が選ばれました。4名の飛行士は霞ヶ浦海軍航空隊に入隊。

太平洋横断飛行に向けた訓練が、開始されました。 しかし昭和3年32歳のとき、太平洋横断飛行の訓練中に、佐賀県上空で、事故により無念の死を遂げてしまいます。

ふるさと・延岡での葬儀は、地元の小学校で営まれ、およそ一万五千人の会葬者が、変わり果てた勇吉の姿に涙したそうです。

勇吉は生前、2度の郷土訪問飛行を行っています。
また、郷土の発展の為にと、勇吉が日本で初めて運んだ「日向かぼちゃ」は、日本で初めて飛んだ野菜となり、のちの「空飛ぶ新玉ねぎ」の命名の元となっているそうです。

前からこの銅像があったことは、知っていたのですが、こんなにも偉大な人物だったとは知りませんでした。
郷土愛に溢れた、後藤勇吉は宮崎県の誇りですね!!!

公園内には、こんなにキレイなお花も咲いていました。

最後に、宮崎県では昨日(3月19日)、桜の開花宣言が発表されました。
観測開始以来最も早かった昨年より6日遅く、平年より5日早い開花です。

全国ではその前日の高知県に続き、2番目の早さとのことです。満開になる日が待ち遠しいですね。

明日から3連休ですが、お出かけの際は、運転等に十分気を付け、良い休日をお過ごしください(^^)

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